渡仏前におばあちゃんが色々言ってくれたことも鮮明に思い出す。これがきっとその僕なりの身体感覚を取り戻すというやつなのだと思う。
身体感覚で言えば、姉がバイオリンのお稽古を鈴木メソッドでやっていて、カイ先生の時間の時に待ちベンチみたいなところで、お母さんの背中と背もたれの間に顔を突っ込んで姉のバイオリンの音を聞きながら寝むぅくなっていたのを思い出す。あの安心感。本当に心地よいものだった。
バイオリンで身体感覚といえば、自分がバイオリン弾きながら寝入ってしまう芸当を身につけていたことも然る事ながら、やっぱり痛い感覚の方が痛烈に思い出すかな。痛かったのは、電車が中野駅に着いたときにドアに手をつけながら丸井に見入っていたらそのままドアに手を吸い込まれ、手を捻挫してしまったこと。痛い身体感覚と、母の手当てのぬくもりが感覚に今も体の奥に残っている。
しかし、ボンジュール・ジャポンに掲載されている日本人たち、腰がドッシリとしていて安定感があって頼もしい。足短い。
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